分子栄養学的「隠れ貧血」

【専門医が解説】不妊に悩む女性に不足しがちな栄養素

日本の少子化が止まりません。
WHOによると、不妊要因のうち女性側要因が約60%、うち医学的な理由が明らかでない「原因不明」が60%を占めているといいます。
なぜこれほどまでに「原因不明」が多いのでしょうか。
「女性の不妊」の根本原因について、新百合ヶ丘総合病院の袴田拓先生が「栄養学」の観点から解説します。


Profile

袴田 拓(はかまだ たく) 
TAKU HAKAMADA

百合ヶ丘総合病院 予防医学センター・消化器内科部門部長。医学博士。
1967年生まれ。茨城県つくば市出身。医学博士。薬物治療や技術先行の医学界に漠然と問題意識を感じる中、テレビ番組のニーズに応えて医師があまり重視しない栄養分野のコメントを繰り返すうち、栄養医学の真の重要性に気付く。 総合内科指導医、人間ドック健診指導医、日本消化器病学会専門医、日本肝臓学会専門医、日本抗加齢学会専門医、臨床分子栄養学研究会認定医。


女性の不妊要因は「原因不明が約60%」

女性の社会進出に伴い晩婚化・晩産化が進むのは仕方ないでしょう。
出産・育児を望まない夫婦の意思も尊重されるべきです。しかし、私が医師として健康診断や外来で出会う受診者のなかに「授かりたいのに授からない」方(ほぼ全員女性)が非常に目立つのが気掛かりです。

人工授精や体外受精といった妊娠を促す優れた技術「不妊治療」が広く行われ、いよいよ2022年4月には健康保険適応となりますが、残念ながら希望者のニーズを十分満たす結果には必ずしもなっていません。
望む人が授からなくなっている「現代の不妊」の根本原因とはいったい何なのでしょうか?

WHOによれば男女別不妊要因のうち女性側要因が約60%を占め、さらに日本産婦人科医会の調べではそれらのうち卵管閉塞や排卵障害のような医学的理由が明らかでない「原因不明」例が約60%を占めています。

男性側要因も無視はできないとしても、女性側の要因として、なぜこれほどまでに原因不明が多いのでしょう。 何か欠落している視点があるのではないでしょうか?


「日本の医学教育」の盲点…不妊問題を解くカギ

「分子栄養学」という学問があります。
人の体内における健全な生化学反応の調節に、様々な栄養素がどのように関わっているかを追及する学問です。 アメリカの生化学者ライナス・ポーリング(1901~1994)らにより確立され、主に北米で展開されていました。

日本へは、生化学者であった故・金子雅俊、あるいは物理学者の故・三石巌といった、医師以外の存在により持ち込まれました。
まがりなりにも四半世紀以上臨床経験を積んだ私がその内容を学んで気付いたことは、明らかに日本の医学教育の盲点となっている知見が多いことです。

原因不明とされがちな体調不良の多くが栄養の質的アンバランスで説明可能であり、それを血液検査や隠された症状により看破する術もあることに、驚きと興奮を覚えました。

そしてそのなかに「不妊」を解くカギも含まれていたのです。


世界的な「鉄欠乏大国」である日本の女性が抱える問題点

日本は世界的な「鉄欠乏大国」と言われています。

人間にとって最も重要なミネラルの一つである鉄分は、その7割が血液に含まれますから、鉄欠乏は毎月月経で血液を失う10~40歳台女性には重大な問題です。
初潮年齢の低下や鉄分豊富な食材の摂取不足、必要性を誰も疑わない献血のしすぎも一因かもしれません。

エネルギーは様々な細胞内のミトコンドリアという装置で作られますが、ここで鉄が大いに働くため、鉄分が不足するとヒトはエネルギー不足から元気がなくなります。

そしてヒトの「卵子」は普通の細胞よりも40倍多くのミトコンドリアを有する特別な細胞です。

妊娠という大仕事にはそれだけ多くのエネルギーが必要だということですが、言い換えれば鉄欠乏は容易に卵子のエネルギー不足を招き不妊の原因となる、ということです。

鉄不足が不妊を招く大きな理由は他にもあります。妊娠が成立するためには、卵子と精子が結合してできた受精卵が、しっかりと子宮内膜に着床する必要があります。

子宮内膜は「コラーゲン」というタンパク質が豊富なほど厚く柔らかくなり、受精卵の着床には有利となります。この「コラーゲン」を十分備えるために必要な栄養素が、肉や魚などから得られる「タンパク源」及び「鉄」「ビタミンC」の3つだと言われています。

したがって鉄分が欠乏している女性の子宮内膜は薄く、せっかくの受精卵が根を下ろすには不十分で、丈夫な胎盤形成もなされず妊娠が不成立に終わることが多いのです。

ところが残念なことに、このような鉄と妊娠の重要な関係性を日本の医学部では教えていないのです。


日本人女性に多い「隠れ貧血」

鉄についての医学教育で不十分な点はもうひとつあります。潜在性鉄欠乏症(Iron Depletion Without Anemia;IDWA)の概念です。
「隠れ貧血」などと呼ばれることもあります。
「鉄欠乏」と聞いて多くの一般の方が思い浮かべる病状は「貧血」だと思います。

貧血の原因はいくつかありますが、そのほとんどは鉄不足が原因でヘモグロビン(Hb)という血液の赤い色素が減少してしまう「鉄欠乏性貧血」です。「鉄が不足すると貧血になる」という理屈ですが、逆は真ならずで「貧血でなければ鉄は足りている」とはいえないのです。

すなわち健康診断で貧血を指摘されずA判定が付いたにもかかわらず、実は重度の鉄欠乏という女性が少なくないのです。
少なくないというよりもむしろ、そのような隠れ貧血女性の方こそ明らかに数が多いのです。

この気付かれにくい潜在性鉄欠乏症を簡単にみつけるためには「フェリチン」という体内の貯蔵鉄を示すタンパク量を血液で測定することが有効です。 しかしあまり有効活用されていないのが実情であります。

すなわち日本の医学教育は「鉄が不足している」という根本的な栄養問題よりも、「貧血である」という表面的な病的事象に重きを置いてきたのです。

そのため、これまで女性の鉄欠乏を感度よくチェックできなかったばかりか、鉄欠乏と不妊の関係性に着目することさえできずに来てしまいました。医学界がこの状態では、政府が不妊増加・少子化の要因を見出せないのも無理はありません。

カップルに対する社会的・経済的援助一辺倒の少子化対策に終始し的を外してきた結果、我が国はいつの間にか「不妊大国」となってしまったのです。

早急にこの点を顧み、適齢期女性の鉄補給対策を適切に講じる必要があります。それが少子化の歯止めにつながると期待されます。