「書」も「画」も超えた先

Part 2 〜後編〜

古い書道界のしきたりや伝統を超越し、書道を現代アートにまで高めた書家&アーティストの山本尚志さん。

後編となる今回は、現代アートという土俵での書道作品のポジションから、現代アートとしての書道作品を創り続ける意義、この先に目指す世界や目標など、幅広くおうかがいしました。

ご自身が創作活動したり、展覧会運営にかかわる超多忙な身でありながら、今現在、約60名の書道家たちをアーティストとして世に送り出すために尽力されている山本さん。彼の作品からにじみ出る優しさや温かさは、周囲の人々を共に引っ張り上げていきたいという大きな人間力を感じるからなのかもしれません。



Profile

山本 尚志(やまもと ひさし) 
HISASHI YAMAMOTO

書道家。現代アーティスト。1969年広島市生まれ、幼い頃に左利きを右利きに直すために習字塾に通ったことをきっかけに書道の世界へ。東京学芸大学書道科在籍中に井上有一の作品に出会い、20歳の時に自室で自身は「書家」であると宣言。また同年、ウナックトウキョウで井上有一の「夢」を80万円で購入。同ギャラリーで有一のカタログレゾネ制作に携わる。 2015年にウナックサロンで初個展「マシーン」を開催、2016年にユミコチバアソシエイツ(東京)で個展「flying saucer」、2017年に個展「Speech balloon」をギャラリーNOW(富山)、個展「バッジとタオルと段ボール」をビームスのBギャラリー(東京)で開催。 米国のアート雑誌「Art News」でも世界のトップコレクター200として何度も紹介されている現代美術コレクター、佐藤辰美氏。氏が社長を務める大和プレス編集により、2016年には作品集「フネ」(YKGパブリッシング)を発表。


★書道が他の分野の芸術と異なる理由

――書道というジャンルは、絵画や彫刻など他の芸術作品と、制作されていてどのような違いがありますか?

山本:アート作品には、ジャンル問わず「ユニーク」と「エディション」という区別があります。

「ユニーク」は「一点モノ」という意味で、作者が作った複製していないものです。「エディション」は、簡単に言えば「版画」ですね。要するに印刷物なので、手には入りやすいですが、価値は下がります。

書道が面白いのは版画を刷るのと同じ「たった数秒間」で書いたその作品すべてが「ユニーク」であること。書は、絵と違って、すべてがオリジナルの原画みたいなものなのです。200枚書いたら、200枚がユニークであり、それぞれが地球でたった一つの作品となります。

今度の僕の二冊目の作品集の表紙になる「うごく木」は、100点以上は書いています。それでも、僕が死んだら世界中で「たった100人」にしか渡らないんですよ。地球上で70億人いるのに、たった100点しかないなら、ものすごく価値のあることになる。もし、僕のことを知る人が年数を経てどんどん増えても、作品は増えないのですから。

そんなふうに、書家は作るもの全てがエディションではなく、ユニークなわけですから、書家が目の前でわずかな時間で書いたものは、文字通りその全てが世界で唯一無二の作品となります。画家の方が一ヵ月かけて仕上げた作品と同じようにです。

ただしこれはご質問にあったように、作り方の違いなのです。私のような書家はいったいそこに何を書くか? そこに至るまで徹底的に考え抜きます。そして、数多く書いたとしても、そこから出来の良いものだけ残して展示しますので、そうですね、写真家が作品を作るやり方と似ているかもしれません。シャッターを切るのと同じで、その瞬間に起こった出来事が作品となり、未来までずっと残り続けるのです。


★横でつながり、上下に縛られない自由さが現代アートの世界

――かつての書道界と、現代アートとしての書道の世界との違いってありますか?

山本:今は書道というものが、現代アートの文脈にのるかそるかっていうことがとても重要な問題なんです。

たとえば、これまでだったら、和歌や俳句、近代詩などが題材で、少字数書の世界でも「至誠」とか「虚」一字とか、決まりきったニュアンスがあります。これでは現代アートにはなりません。井上有一なら「貧」という一文字が有名ですが、今誰かがそれを書いても、その人が井上有一以降の書家になれるかというと、なれないんです。なぜなら、もう井上有一がやっちゃっているから。

日本の書道の世界には師匠がいて、弟子がいる。その師匠の師風(ル しふう)をマスターした弟子が成功できるような世界なんですよね。どれだけ教祖に近づいた信者であるか、なんです。

現代アートの世界にはそれがない。影響を受けた人はいたとしても、特定の師匠がいるわけではないし、一人ひとりがそれぞれ独自の世界観で作品を生み出しています。そこに面白さや可能性を感じます。

横でつながってはいるけれど、上下で縛られてはいない。古い伝統と慣習で縛られた世界よりも、そういう風通しのよさや自由な状態に僕は心地よさを感じています。

――今はSNSで自分の作品をアップしたり、ユーチューブで公開したり、色々なチャンスがたくさんありますが、誰でもアーティストになれる時代なのでしょうか?

山本:もちろん、どなたでもアーティストになれますね。何歳からでも、誰でも「なろう」と思ったら、なれるんです。

アーティストだと宣言したら、もうその人はアーティストなんです。僕だって20歳のときにトイレットペーパーの芯に書いた日に「自分は書家として生きていく」と決意して、今がありますから。ですので、どんな人でも、なりたい自分になれますし、やりたいことがやれるんですよ。


★芸術を仕事にすることについて

――芸術家を仕事にすることで、難しいと感じることはありますか?

山本:プロの現代アーティストとして取り組むべき「同時代的なテーマ」をいかに見つけられるか?ということでしょうね。

誰か過去の著名な作家や画家がやっていた手法をそっくりまねてもそれは現代アートでは通用しません。

書道の世界では、今も井上有一の存在は大きいですが、彼が一文字を大きく書くという作品は、美術史でいう1950年代に流行った抽象表現主義を、日本の書にカスタマイズしたものでした。

今も当時の前衛書道や、抽象画みたいなことをやっている人もいますが、「それはもう終わったこと」というのが現代アートの常識です。

じゃあ、2022年に生きている僕らのような書家が何をすべきか、というと、彼らがやっていなかったことをやらないといけない。ここが難しい部分の一つでしょうね。

あのトイレットペーパーの芯の作品は、20歳のときに偶然にできた作品です。再現性があれば、商品として流通できるけど、そうはならなかった。あれはあれで自分の心の底から湧き上がって書いたものだから価値があるけれど、作り続けられるものではなかったわけです。

最新作の「うごく木」は、子供の頃の記憶をとどめるために書いた作品ですから、この年になって残すところに意味が発生します。

さらに、車内放置事故、そしてネグレクトの問題も作品の中に提示していますから、現代の問題を内包した同時代性のアートでもあります。

「書はいくらでも書ける」という人がいるけれど、そんな軽々しく書かれたものだと、コレクターの方々には絶対に届かないし、底が浅いものとしてばれてしまうでしょうね。

「こいつは本気でやっているのか?」という深い部分を、ちゃんと彼らは見ています。作品にその人の魂や思いが乗っかっているか、同時代性を獲得しようとして作品と取り組んでいるか、そこがブレてしまったら、思考がストップした単なる作品量産マシーンみたいになっちゃいますからね。そこが芸術家として生きるために難しい部分の一つです。

あとは、アーティストは「認められたい」と思ってしまうと、途端に作品が崩れてしまいます。テーマや選んだモチーフに、それが出て来てしまいます。例えば現在のトレンドに迎合したものを、作るアーティストもいますけれど、迎合したことにも気づいていないくらい、上昇志向の波に流されているのではないのかなと。絶対に誰もが「お前の作品は本物だ」と太鼓判を押してもらえるようにならないと、本当の意味では認めてもらえないと思います。

人に媚びるようでもダメ、孤立して独りよがりな作品でもダメ。同時代性があり、そして社会性を帯びた作品の世界観を作り上げることです。そうしていって、しかも人々に関心をもたれる作品を発表し続け、長年生活していくのは、本当に難しいんですよ。


★芸術家として生きていくことを諦めない人たちをサポート

――山本さんは、多くの書家の方たちをプロの現代アーティストとして世に出すために尽力されているそうですね。

山本:はい。今は60名くらいの書家をアーティストとして生きていけるようにサポートのお仕事をしています。具体的には、ギャラリーや美術館などでグループ展や公募展を開催したりして、ギャラリーやコレクターの目に留まるようにしています。それぞれが才能に溢れて独創的な作品を作っていますよ。あとは、それがいつ認められるか?そこにはタイムラグがあります。

自分の場合も、世の中に流通して問題ないというレベルを作ったのが2004年からだと言われていて、実際にプロになったのは2015年からですから、実に11年ものタイムラグがありました。だからそうやってチャンスを待つこともアーティストの仕事の一つと言えるかもしれません。

一部の人たちからは、「芸術家は育てるものじゃない」とか、「他人がとやかく言う必要はない」という意見もありますが、僕はあえて彼ら一人ずつにアドバイスをして、それによって、彼らがどんどん殻をぶち壊して飛び立っていってくれたらいいなと思っています。全員が世界に通用するアーティストになることが目標ですね。

――今の芸術家さんはそれだけで生活できない人もまだ多いですよね。

山本:それは残念だけど、諦めてしまっている人も多いからです。
僕も諦めていたんですよ。

僕がまだプロデビューしていない40歳のとき、息子にこういったことがあります。
「お父ちゃんが死んだら、この作品が残る。これらを欲しいという人が来たら、渡してあげて」と言っていたんです。
その当時、僕は55歳になればきっと自分の作品が世間に認められるだろうと何となく感じていました。
でも、予想よりも10年早い45歳でそのときが来たんです。自分の作品に価値を見出してくれて、売れた瞬間は嬉しかったですね。

――価値のある作品、価値のない作品の違いは?

山本:美術史的にはどうなんだろう?という作品も実は結構多いんです。でも、一部のギャラリーには、ビジネス的に、本物と新人をまぜて販売してしまうところもあります。大物の横に作品を並べて、なんかこの人もすごいかも、と思って売れちゃうんですよ。
人が本当にその作品に価値を感じて、買ってくれるんならありがたいけど、これはギャラリーの戦略ですよね。もうギャラリストの良心にかかっている。
僕はおかげさまで信頼し合える人たちと仕事ができていますし、今後も本物の人たちとしか付き合わない。だって、僕は本物になりたいから。

その作品に価値があるかどうか、という判断基準は、指標があるわけでないので、アートの世界では非常に難しいですが、自分の作品を心から認めてくれて、価値をより高めてくれるような理解者、仲間をどんどん増やしていくことも大切だと思います。


★僕の作品はすべて僕自身の投影

――山本さんにとって、本物の芸術家とはなんでしょう?

山本:嘘つかないということかな。やりたいことしかやらないというか。これやったら売れると思っても、自分の心が乗らなかったら、そっちにいかないという信念があるかないかです。いつかは誰かが認めてくれる、良いと思ってくれると信じるしかない。
売るためのギャラリストや周りの言葉で左右されて、作品がコロコロ変わる人は本物のアーティストではないと思います。難しい世界ですけどね。

――今後やりたいことは?

山本:20歳の頃から思っていたことですが、新しい書道界をつくること。師匠が言ったことをそのままやる、弟子のような根性ではなく、各自が一人のアーティストとして、バラバラで自由な表現をして、それがOKだといえる世界。

でも、実際にはもう達成しているので、僕はもう明日いなくなっても平気かな(笑)。でも、さらに高みを目指していきたいですね。

――最後に、山本さんにとって、アートとは?

山本:…自分自身の「中身」ですかね。
自分が思っていることや心の中にある事象、記憶やその時々の思いを生涯作っていたら幸せです。「うごく木」もそうですが、僕は作品を通して、自分自身の姿を映し出しているんです。それが「書く」ということだと思っています。

さきほどエピソードとしてお話しした「ホネ」か、「フロ」とか、「のりもの」は、それらは自分にとって心のめちゃくちゃ深いところに沈んでいたものを、取り出してみせたテーマなんですね。

こうしたことは、シュルレアリスムと言って、20世紀の前半からすでに行われてきたことなんですが、そのテーマを見つけるのに長い時間心の中を旅していないといけないのです。

数ヶ月、半年、一年、二年と付き合っていけるテーマを複数見つけられれば、いつのまにか、ずっと異なる作品を幾つも幾つも作り続けていける状態になっている。
それが僕的には飽きないし、楽しい。アートはだから生活の根源にあるものだと思います。

そうしたテーマが日々の生活において、心に湧いてくるのを待って、浮かんできたらすぐさま掬い上げて、新しい作品として、目の前に表していく。すなわち、それぞれを現在の僕自身の中身として、同時代の世の中に送り出していく。その作業の連続が、僕にとってのアートワールドとの関わり方なのかなと思って、やっています。




取材・文◎北條明子(HODO)AKIKO HOJO